「保育園行きたくない」
「学校行きたくない」
「習い事に行きたくない」
たまに息子が口にする(していた)言葉で、
それを聞く度に、私の心はざわざわしていました。
たんに怠けたいだけじゃないか。
行かなくていい、って言ったら、この先も味をしめて、行かなくなるんじゃないか。
ここで無理して行かせた方が、慣れて楽しくなるんじゃないか。
最近になって、
息子が休むことを受け入れられるかどうかって、
自分自身が必要なときにちゃんと休むことを受け入れられているかどうかと、
つながっているのかもしれない、
と気づきました。
休むこと=怠けること、など、
ネガティブなイメージになっていると、
休んだあとの未来に対し不安になります。
例えば、子どもについてだったら、
休み癖がついて、ずっと学校に行かなくなる
ずっと学校に行かなくなると、社会に適応できない人間になるかも
というような感じです。
そういうとき、
実は自分が休むことに対して不安があるのです。
例えば、今日はブログを書くことを休もうかな、というとき、
ブログを書かなかったら、クライアントが来なくなって、
とんでもないことになるかも
というネガティブイメージが浮かんで不安になる。
疲れたから、やることやらないで寝ようかな、というとき、
ここで怠けたら、めんどくさい気持ちが大きくなって、
これからやらなくなってしまうかも、と不安になる。
息子が休みたい、と言った時
息子の未来に対して不安になったら、
その未来は私の不安が作り上げたもの、
と捉えていきたいと思います。
そして、不安の感情を自分のものとして取り扱っていこうと思います。
自分が休むことに、不安や心配が浮かばなくなった時、
息子が休むことに、フラットでいられるのかもしれませんね。

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